東大理三に入学するも現代医学に疑問に抱き退学、文転し再び東大に入る。東大大学院博士課程退学後はフランス思想を研究しながら、禅の実践を始め、現在「こども禅大学」を主宰する異色の哲学者・大竹稽氏。迷い、紆余曲折しながら生きることを全肯定する氏は、「障害」というテーマを哲学的に考察している。社会の趨勢を知る軸ともなる特別寄稿。第2回。
「障害があるままに自由になる」初回では、「水五則」の第一則と第二則を使いました。
「水五則」をおさらいしておきましょう。
一.「自ら活動して他を動かしむるは水なり」
二.「常に己の進路を求めて止まざるは水なり」
三.「障害にあい激しく其の勢力を百倍し得るは水なり」
四.「自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せて容るるの量あるは水なり」
五.「洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霞と化して凝っては玲瓏たる鏡となり而も其性を失はざるは水なり」
今回は第三則「障害にあい激しく其の勢力を百倍し得るは水なり」に注目します。
川の水に立ちふさがる巨岩。水たちは渦を巻き、しぶきをあげます。その勢力はまさに岩を砕かんばかり。しかし容易に巨岩は砕けるものではありません。そして水たちの勢力は増大していきます。
しかし結局、障害を破砕することは叶いません。けれども、巨岩の意義はここにはありません。「勢力を百倍」するところにあるのです。こうしていずれ、水たちは新たな道を見つけるのです。
「障害」は「勢力を百倍」するためにある。「障害」がなくても「勢力を百倍」は成り立つかもしれませんが、「障害」があればこそ勢力は百倍する。「障害? ドンと来い!」なんて、第三則を読みながら、私たちは戦国時代を縦横無尽に自由自在に生き抜いた黒田如水をイメージするのでしょうね。
とはいえ現代日本には、当時のような戦さはありません。「勢力」の意味合いも変わってきています。現代は「人数」や「規模」のような数値化される勢力というよりも、自分自身の力量、あるいは生きる力と考える方が適当でしょう。
仕事だろうがプライベートだろうが、人生に障害はつきものです。病気や怪我や事故は「障害」となるでしょう。予想外のところ(部下や同僚)からの訴訟、なんて話しも聞いています。このような障害に出くわすと、胆力の弱い人物は落ち込んでしまいます。
「行く手を遮られた!」
「順調なキャリアが妨害された!」
「常勝に黒星がついてしまう!」
「成功路線が崩れてしまった!」
障害に出くわすと、誰もが驚き、一度は「参ったなぁ」と落ち込んでしまうでしょう。いきなり「ヨシ!」なんていかないものです。そして「どうすればいいのだろう?」と葛藤するでしょう。
この葛藤状態が大事です。どれだけ自力で模索できるか。どれだけ失敗できるか。自分自身が試されていると覚悟できるか。
もし、安定路線に依存してしまっていたら、安定的な成功に慢心してしまっていたら、「勢力百倍」どころではなく沈み込んで立ち直れなくなってしまいます。
『両立思考』という現代人には必須の好著があります。「パラドクスの効力」を教えてくれます。この本では、葛藤状態が「緊張状態」と表現されています。「AかBか」の答えがどうしても出せないパラドクス問題。そんなパラドクスには、「一択で楽勝」だったマンネリ状態を覆す力が内在するのです。緊張状態は、燃え尽きかけていた思考を再燃させるのです。そしていずれ、パラドクスの先に、第三の活路を見出していきます。第三の活路は「選ぶ」ではなく「創る」思考。それは新鮮で、エネルギッシュで、「勢いのある」思考なのです。
「障害」は私たちを立ち止まらせます。そしてこれまでの自分を、自分の考え方やあり方を省みさせます。容易には先に進めないからこそ、私たちは自力を試されます。
「障害にはマイナスの価値しかない」なんて、言いたいだけ言わせておきましょう。胆力弱者は慢心した思考力弱者。巨岩を乗り越えた先の景色など、彼らにはイメージできないのです。
文:大竹稽